Monthly Archives: 2月 2010

シェフの生い立ち 最終章

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柳橋「大吉」さんを皮切りにいくつかの飲食店でアルバイトをしました。

もちろん親と学校には内緒です。    

父親は変なところ厳格で、バイトなどもってのほか、「学生は勉強するもんだ。もしやるんだったら家を手伝え。」こんな調子です。

正直申しまして、この頃理由なき反抗期で父親の存在がとかく煙ったく、理解できませんでした。当の本人は、土、日もバイトに明け暮れて、そこで知り合った人達と一緒に、終わった後六本木や赤坂、青山といった盛り場で遊ぶようになり、ちょっとだけ不良してました。地元や高校の同級生がだんだんと幼く感じ、子供にみえてきたりもしました。

高校の勉強などほとんどしなくなり、成績がみるみる内に落ちてゆき、担任の先生には、「このままだと、間違いなく留年するし下手すると退学だ、分かってんのか。」なんてはっぱをかけられました。

学校の成績が良いとか悪いとか、

有名大学、上場企業、出世欲、無関心でありました。

そんな事より世の中、もっと大切な事がある。なんて、粋がっておりました。                 落ちこぼれのたわ言にすぎません。

ただ、漠然とはしていましたが、コックコート姿の男達が額に汗して本気で仕事に取り組む姿が、かっこよく目に焼きつき脳から離れようとしません。大変道のりは長く険しいと承知の上で料理の世界に一歩ふみこもう。そして、いつか、自分の店を持つ。うっすらですがそんな夢を描くようになりました。

『働かざる者、食うべからず。』

『どうせやるなら、フランス料理だ。』

とは言っても当時、街場ではフランス料理を学べる店はほとんどないに等しく、ホテルや結婚式場といったところです。料理学校で学ぶという選択肢もありましたが、当時専門学校にいけるだけのお金は残念ながら、家にありませんでした。冬休みからバイトを続けていた上野 精養軒に就職が決まり、ここからが修行のスタートです。

ちなみに初任給が手取りで7万円。給料がもらえるだけましです。働いてみて、気がついたのですが、アルバイトとプロの仕事はまったく違うという事。厳しさも違いました。あとフランス料理の基礎や基本となる根っこの部分が、何一つ分かっていません。まわりの同期の人達は、料理学校を出ており、教わる事に対して吸収が早い気がしました。

これが自分にとって、だんだんとコンプレックスに変わり、その闇の中から抜け出せず、自分の殻の中に閉じこもるようになり、半分いじけていました。

「石の上にも3年。」

とにかく3年間は働き、少しずつですが預金をして、あれほど勉強嫌いだった自分が料理学校へ行って本気で勉強したいと思うようになり、料理の技術だけではなく、フランスの風土や文化、地方料理、ワイン、ついでにフランス語も。

フランス人の運営する料理学校、ル・コルドン・ブルーに入学、ダニエル・マルタンシェフと運命的な出会い、ワインはソムリエのデュランさんから学び、フランス語はアテネフランセに通いました。

あれほど勉強嫌いだった僕が、初めて本気で学びました。

「好きこそものの上手なれ。」

やはり、好きな事を仕事にできるって本当に幸せです。

ピノ祭り

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ソムリエ、みほです。

たまにはソムリエらしくワインの紹介など(^^)

最近、ピノが増えています。

フランスでピノノワール種を使ったワインというと

ブルゴーニュが一番知名度ありますが、

その他アルザス、ジュラ、プロヴァンスなどでも栽培されています。

カンパ―ニュではひっそりとピノ祭り開催中です!

(といっても内輪で盛り上がってるだけですが・・・)

まずはブルゴーニュ、トラペのマルサネ!

品があるとはまさにこういうワインだと思います!

   

そしてマニア待望のアルザス、ピノノワール多数入荷しました!!

   

最近ではブルゴーニュよりアルザスのピノに魅力を感じてしまいます。

どんな魅力があるのかは、また追々と(笑)

その他、ジュラ地方アルボワのピノノワールなんかもあります。

けっこー、マニアなラインナップとなっています。

どんなワインなのか、を書くと長くなりそうなので

よかったらお店に来たときに聞いてくださいね(*^_^*)!!   

みほでした。

                                                                                                                                                        

シェフの生い立ち その5

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昭和60年代

世の中金余り現象

バブル夜明け前

アパート暮らしの終焉

昭和から平成へ。

消費税導入

本格的バブル経済突入そして崩壊

不良債権

貸し渋り

父親の他界。

柳橋「大吉」さんのアルバイトの採用が決まり、くすぶっていた高校生活から少しずつですが充実した毎日が過ごせるようになりました。

初めての仕事はホールでのサービスと厨房での洗い物、サラダの盛り付けです。ちなみに約30年前ですが、時給が500円。高校生の僕にはもらいすぎです。

大人の人達が額に汗して本気で仕事に取り組む姿を目の当たりにして見ることができたのは貴重な経験でした。

又、一番の楽しみは、プロのコックさんが作る賄いです。だいたいどこのお店でも、賄いを作るのは見習いの仕事です。先輩のコックさんや、料理長に少しでも認めてもらおうと必死になって作ります。まずい賄いを作るとまったく食べてもらえなかったり、その場で捨てられてしまう事もしばしば。僕もほんの少しですが、賄いを手伝わせて頂きました。

「けっこう、やるじゃねえか。」

なんて、言ってもらうと頭の中のアドレナリンが全開、やる気が倍にも3倍にもふくれあがります。

人をほめたり、気づいてあげるという行為は、その人間をのばしていく為に大事な要素だと思います。これは仕事に限らず、家族との日々の生活、夫婦間でも同じ事が言えると思います。

 『同じ釜の飯を食う。』

大好きな言葉です。他人同士が一緒に飯を食う事によって家族のような絆を生み、一つの組織になって力を発揮すると信じております。

僕もよほどの事がない限り、スタッフと食事をとるようにしています。又、仕事が終わった後、一緒に酒を飲んだりしてポロっと本音が出た時、「こんな事を感じ、思っていたのか。」考えさせられたり、へこんだり、笑ってみたり、泣いてみたり。

話を戻します。落ちこぼれの僕をアルバイトで採用してくれたマスター。面接の時に出して頂いたバヤリースオレンジジュースの味、忘れません。

賄いの時、カツの上にカレーをかけてくれた今も一つ上の先輩。料理の素晴らしさと道筋をつくってくれた料理長、ありがとうございました。

あの時に比べ、ちょっとは人としてましになったでしょうか。悪戦苦闘しながらも、日々、精進してまいります。

                                    続く

シェフの生い立ち その4

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昭和50年代 ビルの建設ラッシュ、蔵前の木造平屋が次々に壊されてゆき、下町の面影はだんだんと薄れていく。

僕の家は相変わらずのアパート住まい。なんせ大型トラックが通るたびにマグニチュード7の地震が来て、初めて家に遊びに来る子たちは、大抵ビックリするしバカにする子もいた。せっかくの彼女が出来ても、恥ずかしくて家に呼ぶ事は、ない。

それに、父親の存在だ。

時代に逆境してる様で苛立ちを覚えた。

結局この蔵前の木造アパートは昭和63年まで住み続ける事になりました。

高校はなぜか港区の男子校。といっても、みんなすべり止めで来たような落ちこぼれ学校。柔道部に入部するも3ヶ月で撃沈。あまりの稽古の厳しさに耐えられませんでした。

高校生活って部活に入っていないと何一つ思い出に残らないものです。ただ、漠然と通っていただけです。

特に男子校の夏場は苦痛です。教室内がブルーチーズのような香りがしました。保健室で働くおばちゃんの先生が美人に見えてきたり、半分頭がおかしくなっていたと思われます。女子高に通う生徒さんが男の先生に恋焦がれてしまうのは、分かるような気がしました。

又、おとなりの駅、「三田駅」は数多くの女子高がひしめきあっており、僕も男です。いく時は、いきます。完璧に狩猟民族で肉食系に変貌です。

「へたな鉄砲、数打ちゃ当たる。」

一発も当たりませんでした。誰も相手にしてくれません。ほろ苦い青春時代です。

こんなくすぶっている高校生活に、転機が訪れました。

台東区柳橋の洋食「大吉」さんでアルバイトの人を探していて、僕にやらないかと話がきました。柳橋は向島と同じくらい、料亭がたくさんあり、子供の頃、芸者さん達をよく見かけました。昔ながらの粋な店がいくつかあります。

池波正太郎さんの小説にも柳橋が何度か登場し、洋食「大吉」さんにも通われていたそうです。

生まれて初めてのレストランでのアルバイト。たまたま見つけた広尾の雑貨店。ひまを見つけては通った飯田橋や新宿、中野の映画館。この事が、料理の世界に入り、30歳までに自分の店を持とうという目標をかかげ、途中挫折もしましたが何とか29歳でビストロ カンパーニュをオープンし、自分自身がビストロの世界にのめりこんでいくというきっかけになりました。

                              続く

青写真

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人生の青写真―

なんて言葉がありますが、なんてことはない。ただ「青い写真」が気に入っています。

少ない趣味の1つが写真です。撮るのも撮られるのも撮ってる人を撮るのも好きなんです。専らコンパクトデジタルカメラ。フィルムの一眼レフをもってたりしますが、2軍キャンプです。こだわりがありそうでないので、「写真なんて、撮れれば携帯電話だってなんだっていいぜ!」な人間。「何いってんだこいつ?」なワケですが、「写真ておもしろいよね!じゃんじゃん撮ろうぜ写ろうぜ!」がモットーです。

写っているのはすべて過去のことなんだけれど(未来が見えるカメラなんて素敵!)、温度、湿度、雰囲気、音だったりが思い出せたりして、なんかよかったりするんです。1日1枚撮ると、365枚のアルバムが1年でできたりする。同じ被写体を撮り続ける、いいかもこれ!

そして、最近のマイブーム”青写真”。

こんなのとか

こんなのです。

空ってこんな風に気持ち悪いくらい青くはないです。笑だから実際の色を表現してるわけではなくて、撮る人によって色味を変えられちゃうわけです。これは楽しい遊びを見つけました、おもしろい。

デジカメではホワイトバランスを「電球」にあわせれば青白く。「蛍光灯」にあわせれば赤みがかったオレンジ色に。詳しいことをいうと「光は反射率18%のグレーが・・・云々」てことらしいのですが、僕もよくしらないので調べてください。笑

料理とかワインとかお店のこととか全然関係ありませんでした!趣味は写真、たなかです!

ちなみに、HPのほうにも何枚か僕の写真を使ってもらいました。さて、どれでしょう?

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