Monthly Archives: 1月 2010

ぺティヤン

Share on Facebook

 

こんばんは、みほです(^^)

今日新しいワインが届きました。

みなさんはぺティヤンをご存じですか?

ワインはスティルワイン(普通のワイン、発泡なし。)やスパークリングワイン(発泡ワイン)などがあります。

スパークリングワインはフランスではクレマンやヴァン・ムスーなどと呼ばれており、

特にフランスシャンパーニュ地方で造られる発泡ワインはおなじみの「シャンパーニュ」という呼称で呼ばれます。

ではぺティヤンとは??

簡単に言えば微発泡ワインです。

発泡ワインは生産地や泡の気圧によって分類され、名称が違ってきます。

ぺティヤンは一番泡が優しく、爽やかさもありながら癒し系の泡で口の中を包んでくれます。この微妙なアワアワ具合がけっこう好きだったりします(^^♪

ちなみに一番気圧の高いもの(泡が強いもの)はシャンパーニュです。

なんと5気圧!!車のタイヤが2~3気圧?くらいなのでどれだけ強いかわかりますね・・・

ともあれまろやかな泡のぺティヤン、入荷しました。

是非みなさん飲みに来てくださいね!


ちなみにこのラベル見て常連さんが一言。

「アバターみたい。」

なるほど!!

というわけでこの子のニックネームは“アバター”になってます。

シェフの生い立ち その2

Share on Facebook

 

昭和30年代  東京オリンピック、高度成長期、好景気、ものづくりの町。

蔵前も例外ではなく中小企業の社長さんや町工場の職人さん達がとても生き生きとして、輝いていて、明日はもっと良くなると誰もが信じていた時代。

家族で出かける映画鑑賞会と外食はとても楽しみで絆を強く感じる唯一の時間です。 浅草は地元なので良く食事に連れてってもらいました。

当時の浅草六区は大変なにぎわいをみせ、流行の発信地です。                                         新世界、映画館、ボーリング場、ストリップの「フランス座」、見世物小屋の「いなむら劇場」、大道芸人、ちんどん屋、たまにマッチ売りの少女。                                                                                         特に見世物小屋「いなむら劇場」は花屋敷の前にあり、いつも大勢の人が群れをなしていました。子供心に僕はこの「いなむら劇場」が気になって気になってしかたありません。父親に聞いても答えてはくれません。

ただ、店の看板には、ヘビ女来たる。とだけ書いてあるだけです。大人になったらまず先にここへ来よう。いつのまにかこの見世物小屋は消えていました。

ディープでコアな世界だった事は間違いありません。

いろいろなお店に連れて行ってもらいましたが、何よりもお気に入りは、洋食「ヨシカミ」です。「旨すぎて、申し訳ないっす。」がキャッチフレーズのあのヨシカミです。                                                                  店はいつも大忙し。決して広いとはいえない厨房にコックさん達が大勢働いていて、料理長の激が飛びます。まるで戦場のようです。僕はここのビーフシチューとコーンポタージュが大好物。ちょっぴり大人の味。この世にこんな旨い物があるのかと、えらく感動しました。父親は決まってエビフライにビール。母親はポークカツレツ。兄は・・・忘れました。「ヨシカミ」は本当によく、通いました。

この頃僕がコックになるなんて夢にも思いませんでした。帰り道にアンジェラスに寄って、エクレアやプリンアラモード、チョコレートサンデー。

僕にとってスペシャルコース。家に戻れば又アパート暮らし。

決して裕福な生活とはほど遠いですが、気持ちは決して貧しいとは思いませんでした。

昭和の古き良き時代の1ページがここにあります。

     

                               続く   シェフ 塩川

『看板娘』

Share on Facebook

 

お店の前に置いてある看板を新調しました。

    

      

 

   

   

                        使用後             使用前

先代は脚も折れ、もうボロボロ… 2年?近くがんばってくれました。                                 蔵前近くの飲食店の総合デパート、かっぱ橋にて黒板を購入、早速製作にはげみます。かっぱ橋にチャリンコで行けますから便利な所です。

プラスチックのボートに『BISTRO CAMPAGNE』とくり抜いて、そこをペンで塗りつぶすというなんともアナログな方法です(笑)  自分は子供の頃から図工の成績はよかったです。                     今度はペンじゃなく、スプレーで“シュッ”とやっちゃうことにしまぁ~す。

新しいこの子も雨にも風にも負けずがんばってもらいます。よろしくお願いします。                         ご指名待ってまぁ~す(笑)

  

シェフの生い立ち その1

Share on Facebook

 

東京の下町 両国でやきとん屋「とん太郎」を営む、塩川家の二男坊として昭和38年9月26日に蔵前に生まれ育ちました。

この土地は祖父母の代からなので僕で3代目、江戸っ子を名乗れます。

父親の店「とん太郎」は昭和30年代としてはめずらしく、店にテレビがあり、(家にはまだまだテレビが普及していない時代) プロレスや野球観戦をしながら名物のやきとんや、もつ煮込みをあてに、焼酎やウイスキーのハイボールを売りにしていたそうです。

又、店の入り口にはとんでもなくどでかい赤提灯がさがり、両国という土地柄、相撲部屋の親方や関取衆が顔を見せ、特に高砂部屋の初代横綱、朝潮関には「とんちゃん」の愛称で親しまれ、横綱と差し飲んでも負けなかったとよく自慢をしていました。なにしろ連日連夜大盛況、昭和の古き良き時代の大衆酒場でした。

又、今のカンパーニュの場所で祖父母が食堂「かつら」を営み(昔、蔵前はかつら町と呼ばれていた。)ラーメンやカツ丼、夏はカキ氷といったメニューを出していました。

食堂の二階がアパートになっており、5部屋ほどありました。

自分の家族が4人、とん太郎で働く住み込みの調理人、近所の町工場で働く兄さん、女とギャンブルをこよなく愛す浅草六区の喫茶店のマスター、シャネルの香水をプンプンさせ、下着同然の格好で廊下をウロウロ歩く水商売の姉さん、それとたまに浪人生の下宿人。

当時は台所、洗濯場、トイレは共同。フロなどはなく、近所の銭湯「化粧湯」へ毎日通っていました。

チョイと世の中からはみでた訳ありな人達と共同生活のようなものです。

東京下町はこんな光景はごくごく普通でしたし、両親が共働きで帰宅が遅く、寂しい思いもしましたが、アパートに住む、兄さんや姉さん達が遊び相手になってくれたので楽しい想い出もたくさんあります。

僕の唯一の楽しみは、家族で出かける映画鑑賞会と外食でした。

                                  続く   シェフ塩川

            

『お帰りなさい、小野田さん』

Share on Facebook

 

約1年ぶりにカンパーニュに復帰致しました、ヒゲ坊主です。

ブログ初投稿でございます!!

塩川シェフの下、ビストロ・カンパーニュにまたお世話になることができ感謝のキモチと、今と変わらずそれ以上にお客様に愛されるお店になるようカンパーニュを盛り上げていきます。

皆さん宜しくお願いします。

久しぶりのカンパーニュは歳月を重ねてきたお店の風合いは昔のまま・・・

塩川シェフは髪の毛を伸ばしているのか若返り?

(僕が居た頃のシェフはずっと短髪でした。一時は従業員の男3人、皆坊主の時があって、      ちょっと怪しい雰囲気の時もありました。)

ソムリエのみほさんのプロフェッショナルなサービス。

(自分の嫁もみほと言いまして…、兄の嫁もみほ、僕の周りにはみほさんだらけ…。)

生まれもっての感性を兼ね備えた“天才田中くん”

皆それぞれ頼もしく、自分もまだまだ学ぶところだらけです。

復帰して数日で自分が居た頃からひいきにして下さってるお客様にごあいさつすることができ、     カンパーニュのお客さんとの距離感っていいもんだと実感しました。

今後のカンパーニュの変身?に期待していて下さい!!

1 / 212


Bistro Campagne